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公益社団法人上秋津愛郷会です。

お問い合わせはTEL.0739-35-0253

〒646-0001 和歌山県田辺市上秋津2083-1

歴史History

昭和の大合併を機に誕生

 昭和32年、町村合併後、和歌山県下に於いてはじめて社団法人を設立し、旧上秋津村有財産全てを、地区民に復帰、法人所有権を移し、全国に於いても初めての財産区の解消という画期的な仕事を実現、公益法人として運営に努力を重ね今年に至っています。
 上秋津だけではなく、和歌山県内の各地には、「愛郷会」「保郷会」という名のもとに、山林など村の共有財産を保有し、管理する組織があった。ところが、1950年代後半から1960年代にかけて、それは「昭和の合併」と称された市町村合併時と重なる。各地で先人から引き継がれてきた財産を処分して、住民同士で分配し、山林を失い、会も消滅するところが相次いだなか、上秋津は今日までその活動は続き、地域貢献をはたしています。
 平成20年12月に「新公益法人制度」が施行されたのにともない、平成24年、社団法人上秋津愛郷会から、公益社団法人上秋津愛郷会として新たな一歩を踏み出しました。

子孫のために美田を残す

 過去をふり返って、もしもあのときにこうだったら、こうなっていたのではないか、という「もしも」は多い。もし、愛郷会がなかったならば、上秋津の地域づくりは、いまとはずいぶん異なったものになっていたに違いない。住民が地域づくりに取り組むときに、資金の有無はやはり重要である。上秋津地域であるひとつのプロジェクトが動き出すとき、財政面からしっかりと支えてきたのが、愛郷会です。
 昭和の大合併時に、上秋津村は、地元の高尾山や三星山、東牟婁郡古座川町七川などに山林を、また地元に土地などを所有していた。合併を機に、村有財産処分が検討された。しかし、資産の分配はしなかった。「社団法人」組織の愛郷会をつくり、財産を保全管理していく道を選んだのであった。法人資格を得るため、初代会長の田中為七さんらが和歌山県庁に泊まり込んで書類をつくったことは、語りぐさになっている。そうして、上秋津愛郷会は、1957年に設立される。
 「上秋津の財産を上秋津の人の手で守る。当時の人たちの思いが、愛郷会という組織を残したのだと思う」歴代の会長すべてが語る。
 

目先の利益より将来を考えるのは、愛郷会の原点だ

 上秋津公民館や秋津野塾、愛郷会の事務局が入る農村環境改善センター、学校のプールや若者広場などの各用地の購入、確保の際には、愛郷会から資金が支出された。あるいは、集落排水事業にともない、11ある集落の集会所のトイレが水洗化されたときには、各集落に100万円ずつの補助費を提供した。地域振興、学校教育の振興、治山緑化のために支出される金額は、毎年500万円から600万円にのぼる。上秋津のマスタープランの作成は、町内会の協力とともに愛郷会の資金援助なしにはできなかった。 秋津野ガルテンへ 平成15年には、元上秋津小学校跡地や校舎を利用したグリーンツーリズム計画が持ち上がり、地域で話し合いの結果、平成19年、住民489名が出資して運営会社が立ち上がった。同時に愛郷会が田辺市より、旧田辺市立上秋津小学校跡地を買取り、土地を運営会社(株式会社秋津野)に貸し出し、旧校舎を再利用した、都市と農村の交流施設『秋津野ガルテン』が整備され事業がスタート。平成20年11月にオープン以来、年間6万人を超す利用者が訪れ、地域が活性化し雇用も生まれている。
 そうした資金の裏付けになっているのが、会が管理する地区の財産である山林や宅地などで、合計財産は2012年度には約5億1000万円となっている。
 しめじ栽培の研究中高尾山・龍神山・三星山周辺で、毎年、秋におこなわれ、地区内外から希望者が殺到するマツタケ山の入札(入会権)も、大切な収入源だ。また、2002年からは和歌山県と共同で、本シメジを育てるプロジェクトが高尾山で試験的におこなわれている。
 愛郷会の会員は約470人、1957年(昭和32年)当時から現在まで上秋津に住んでいることが条件である。 それだからといって、会員個々に特典があるわけではない。地域全体に還元していく、それが基本方針だからだ。「会設立当初の理念とこれまでの取り組みを大切にして、地域のためになるのであれば、積極的に支援していきたい」。

公益社団法人 上秋津愛郷会公益社団法人上秋津愛郷会

〒646-0001
和歌山県田辺市上秋津2083-1
上秋津農村環境改善センター内
TEL 0739-35-0253


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